2014年6月7日土曜日

盲人バルティマイの信仰告白

◼2014/6/7
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:ルカ18:15−23
◼メッセンジャー:金ソンソプ宣教師

★メッセージ

本日のヨハンソウル教会の男子宣教会によるミュージカルは、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に登場する盲人バルティマイに関するものです。彼は毎日、その日生きていくお金を求めて物乞いをしていました。盲人であることで家族を失い仕事を失い多くの苦労と問題を抱えて乞食になったのでしょう。現代のように障害者が優遇される時代とは異なり、障害があることは罪の結果であるとみなされ皆から迫害されました。体の問題だけでなく精神的に大きな痛みも負っていました。すでに治る望みもなく、ただ今日一日生きるお金が与えられることが全ての望みでした。
あるとき、ナザレのイエスが近くを通ると聞かされました。ナザレのイエスとは人々がイエス様をけなすときに使った表現でした。ナザレは田舎町で何ひとつ良いものが出ないと言われました。盲人バルティマイはそのナザレのイエスの話を聞いて「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びました。ここに彼のイエス様に対する正しい信仰告白がありました。人々はナザレのイエス様と呼びましたが、彼はダビデの子イエスと告白しました。ダビデの名はイスラエル国家の象徴であり、ダビデの名はすべての人に頭に刻まれ、メシアがダビデの子として来られることは聖書で予言されていました。バルティマイはイエス様を救い主であると告白したのです。私たちの信仰告白とは、まさにただイエスキリストだけが唯一の罪からの救い主であると告白することです。

人は皆自分が何者であるかを知りたいと思っていますが、人は自分を知れば知るほど、自分が罪人であり愚かでどうしようもない存在であることを知り落胆します。それを受け入れることで気持ちが楽になることもありますが、それで救いには至りません。救いとは、自分や他人を知ることではなく、宇宙の真理を悟ることでもなく、ただイエスキリストを信じることにあります。
私たちにはイエス様に何か要求する権利はありません。イエス様は私たちに何も借りがないですし、私たちの親でも教師でもヘルパーでもありません。それでもイエス様はただ愛と恵みで私たちを憐み救って下さるお方です。
バルティマイが大声で叫んだときイエス様は聞こえなかったのでしょうか?いや、来る前からバルティマイの存在を知っていたはずです。イエス様は彼の信仰の本質を見ようとしておられたのです。あなたは犬だと言われて犬もテーブルから落ちるものを食べて生き延びますと答えた女もバルティマイもイエス様の前に完全にひれ伏す信仰の持ち主でした。

イエス様はバルティマイに何をして欲しいのかと問いかけました。私たちはイエス様に何をして欲しいと願っているのでしょうか?ヨハン教会の皆さん、目の前の利益にとらわれるのではなく、信仰を願う者になるようにしてください。