2014年3月19日水曜日

主の用いる器

◼2014/3/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ21:1−11

★メッセージ

韓国では1970年代に若者を中心に大きなリバイバルを遂げたくさんの献身者が生み出されました。しかし、1980年代になってその流れが止まり今は教会を建てるのが大変なほど苦しい状況にあります。大きな教会もたくさんありますが、それが何の苦労もなしにできたと思ってはなりません。イエス様の杯を飲みますと言った弟子たちもその深い意味を理解していませんでした。天の国の王座に座ることはどれほど犠牲が伴うことでしょうか。弟子たちは結局、イエス様を裏切って散りぢりになってしまいました。
人は何も困難がないと祈らなくなる傾向があります。リーダーはうまくいっている時にもよく祈って未来に備えなければなりません。よく備えた者は必ず苦難を乗り越え主と共に歩む者となります。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちも主が見ておられると信じます。

イエス様が来られたとき、盲人はイエス様に憐れんでくださいと叫びました。本当の盲人は誰でしょうか?パリサイ人、ファリサイ人などの律法学者たちでした。
イエス様は弟子たちにろばを連れてくるように命じます。ろばを買ってきなさいとか交渉して借りてきなさいとかではなく、持ち主がいないにもかかわらず連れてきなさいといいます。一般的な人間の取引ではありませんが、主が万物を支配しておられることの証であります。主が用いようとするものは即時に何でも用いられます。しかし、私たちが言い訳が多過ぎるとなかなか用いられません。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちが主の貴い器として用いられることを願います。
この世での人々からの称賛を目当てにして奉仕をしないでください。それらはやがて消えてなくなる虚しいものです。主イエス様の喜びだけを考えて奉仕を捧げて下さい。神様の必要に敏感になって下さい。私有化された祈りや働きをおろしてすべての主人公はイエス様として栄光を主に帰しましょう。