2013年12月1日日曜日

真の安らぎを下さるイエスキリスト

◼2013/12/01
◼ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:マタイ11:28−30
◼タイトル:真の安らぎを下さるイエスキリスト

★メッセージ

私たちにとって安らぎはとても重要であり常に求めていますが、問題なのは求める安らぎはどこにもないことです。たとえ休んでも疲れます。バケーションシンドロームという現象があります。長期休暇で旅行に行ってきて家に帰ってくると疲れてしまい一日休む必要があったりします。
疲れとはギリシャ語では自らの問題によって負っている疲れのことです。重荷とは他人の原因によって負っているものです。負荷がかかって小さなことでも嫌になってしまうことがあります。部屋に引きこもったりします。自分自身も忘れ他人との人間関係もすべて切ってしまいたいという衝動にかられます。アメリカでは、国民の約5%がうつ病にかかっており年間3兆円の予算が使われています。
現代人は特に安らぎを楽しむことができません。自分が休んでいる間にも誰かが仕事をして自分を追い越していくのではないかという衝動にかられ、休むことさえできません。
あるピアニストは言いました。自分の弾く音符は他の人と全く同じものです。ただ違うのは、休符でどのように間をおくのか、それが私の音楽のポイントです。休符での間の取り方一つで音楽の世界が全く違ってきます。これこそ安らぎの美学です。
イエスキリストは真の安らぎを提供して下さいます。イエスキリストに癒された一人にサマリアの女がいます。何度も男と結婚しその挙句捨てられ周囲の人からも嫌われどうすることもできなくなった女でしたが、イエスキリストは彼女に話しかけ真の命の水を与えられました。他に癒された人にザアカイがいます。徴税人として豊かにはなりましたが、それで人々から煙たがられ背も低くコンプレックスがあった彼の家に来られ、彼の根本的な問題を解決されました。
イエスキリストはわたしは道であり真理であり命であると言われました。ヨハン教会の皆さん、イエスキリストのところに来て下さい。イエスキリストがあなたの重荷を担って下さいます。
また、わたしの軛を負いわたしに学びなさいと言われました。軛を負うということは、イエスキリストが共にして下さることです。