2013年10月26日土曜日

礼拝とは出席するものではなく捧げるもの

◼2013/10/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:創世記22:1−6、15−18

★メッセージ

礼拝とは出席するものではなく捧げるものです。クリスチャンでなくてもキリスト教の勉強のために礼拝に出席することはありますが、これは単純に自分の何らかの目的のために出ているだけであり、捧げているとはいえません。礼拝において捧げることが重要です。
礼拝ではまず自分の時間を捧げます。他の事に使う時間を割いて主のために捧げます。
二つ目に礼拝は万全の準備をして捧げます。イサクを捧げなさいと言われた主に従順してアブラハムは礼拝を捧げるために、薪や火や刃物などよく準備して行きました。例えばデートで愛する人と会うとき、身なりを整えどこにいくか調べ何を話すか考えたうえで臨みます。礼拝においても同じように、身なりを整え祈り期待して捧げます。ただし、準備するとしても形式的あるいは義務的なものではいけません。第二コリント9:7 喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
一人子のイサクをすら惜しまなかったアブラハムに主は子孫を天の星のように海辺の砂のように増やすという祝福を与えられました。
100歳で子供を得、175歳まで生きて亡くなります。すでに人の寿命が120歳に制限された後ですから、アブラハムがどんなに特別な祝福を得たかわかります。100歳まで子供がなかったアブラハムの人生はもしかしたらたくさんの後悔があったかもしれませんが、信仰による従順の結果、最後に主は大きく祝福を与えられました。
神様は人を祝福したいお方です。祝福されるためには、自分の大切な時間やお金を犠牲にして礼拝を捧げることです。ヨハン教会の信徒たちも、ぜひ主の有り余る祝福を体験して下さい。