2013年6月13日木曜日

わたしの名のために

◼2013/06/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:わたしの名のために
◼聖書箇所:イザヤ書48:1-11

★BibleStudy

1節 まこともなく、恵みの業もすることもないのに
いちじくの葉に実がないことをイエス様がおこられたように、私たちのうちにも実があることを主が探されます。立法学者たちは偽善的な祈りをしてイエス様から叱られました。サウルがサムエルを呼んだとき、主が喜ばれるのは形だけの礼拝でなく従順であると言われました。私たちのうちにまことと恵みの業があるでしょうか。本当に主に従順しているでしょうか。

3節 初めからのことをわたしは既に告げてきた。
主は突然何かをするのではなく常に警告を発してきましたが、4節にあるように、彼らは頑固で聞きませんでした。当時の預言者もある日突然預言したわけではなく、預言者を養成する学校があり、そこで王様と対しても大丈夫な品格や預言の仕方を学びました。預言者たちはあらゆる訓練を受けた後に、確実に預言をしてきました。
本物の偶像を家に隠している人はいないかもしれませんが、自分の心の中に偶像がないでしょうか。主を主と呼ぶのであれば自分は僕であると認めなければいけません。自分の計画を優先するのではなく主の計画を重んじ従いましょう。
多くの人は最後の神頼みと称して、自分の力でやってどうにもならなくなったときに神に頼ろうとするのですが、クリスチャンは最初から神に頼るものであります。

イスラエルの10部族は完全に滅ぼされ失われてしまいました。何度警告しても聞こうとしなかった人々の結末です。その部族がアメリカに渡ったとかいろいろな説がありますが、本当のことはわかりません。20世紀になってイスラエルという国が建国されました。当時のイスラエルとどこまで関係があるかわかりませんが、それでもユダヤ人による国が立てられたのは主の御業です。

7節 それはいま、創造された。昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。
今まで何度も預言を聞いてきたのに、突然新しいことがやってきます。本当に新しいものを創造できるのは主だけです。私たちは、それらを加工したり組み合わせたりできるだけです。
8節 聞いても聞こえず、見ても見えていないのが当時の民の状態でした。聞いても聞こえない、見ても見えない、これが最も大きな裁きです
スポンジのように主の御言葉をすっと吸い込むようにならなければいけません。
9-11節 主ご自身の栄光のために主はことを起こされます。私たちが何か重要な存在でしょうか。私のような小さな者がいなくても宇宙や地球は回っていきます。私たちは救われるにも値しないものでしたが、主がご自身の栄光のために私たちを救われました。
罪を悟ることだけがキリスト教ではありません。罪を悟るだけならどの宗教でも論じています。罪を悔い改め赦される恵みを体験しましょう。