2013年5月5日日曜日

子供たちに手をおいて祝福された

■2013/05/05
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:子供たちに手をおいて祝福された
■聖書箇所:マルコ10:13−16

★メッセージ

問題の子供はいません、問題な両親がいるだけです。
問題の子供はいません、問題な家庭があるだけです。

1.イエス様は子供たちを本当に愛されました。
16節 手を置いて祝福された、つまり按手祈りをされました。イエス様の周りに群がってきたのは、いつも子供たち、そして名前も登場しない女性たちでした。14節 妨げてはならない 。ありのままを人格を許容しありのままで受け入れなさい、ということです。大人で人格的な関係をとれない人は、子供のときに、両親と人格的な交わりをしたことがなく、また、両親同志も人格的な交わりをしていない場合が多いです。一方で、人格的な交わりを持って育った人は明るく職場でも人を和ませます。しかし、たとえ人格的な交わりを受けて育って来なかったとしても、イエスキリストを信じ受けた人には主が伴い、人格的な交わりが聖霊様によってできるようになると信じます。
我々は逆に子供たちから学ばなければいけないことがたくさんあることを覚えて悔い改め、純粋さ、謙遜さがどのくらいなのか、自分を省みましょう。

2.純粋な子供の心を良く理解し学ぶにはどうするべきでしょうか
127編2節 主は愛するものに眠りをお与えになる。霊肉ともに安息を与えて下さいます。今は多くの人が疲れており疲れからあらゆる病が発生します。
自分がある程度の役割をしていても子供たちがそうなるわけではありません。たとえば、エリ大祭祀長の二人の子供は悪質な者たちで主から罰されました。叱るべき時に叱らなかったからです。サムエルの息子もそうでした。また、モーセの子供たちもよく育ちませんでした。あまりにも働きに集中しすぎて子供たちを省みなかったようです。

3.実際的な勧め
17〜22節 金持ちの青年のたとえ  世の人々は結局お金を愛しています。お金が手に入らない証は人々はあまり注目しません。人格が滅茶苦茶でも給料が高いと自分が偉いかのように錯覚します。こういう人はある程度までは一緒にやってついてくるかもしれませんが、決定的には用いられません。